2007.12.08

みなかみ町山岳資料館

R0010589s登山目的から離れて土合を訪れるのも久しぶりです。
それにしても今日は絶好の登山日和。
ここ数年新雪の訪れの遅かった谷川岳も11月に降った雪がしっかり根雪になったらしく、美しい純白の稜線をみせてくれていました。

来年2月に行われる大規模な救助訓練を前にして、地元関係機関への事前の挨拶まわりに訪れました。
山が目的ではありませんが、白銀の山々を目の前にすると気持ちがたかぶってくるのがわかります。

R0010594s予定よりも早めに用事が済んだので、同行のY君が前々から行ってみたいと望んでいたという町の山岳資料館に立ち寄ってみました。
温泉街の目立たない場所にある小さな資料館。
せまい階段を上がっていくと、意外に広々としたスペースに谷川岳にまつわる山岳資料がきちんと展示されていました。

往年の名クライマー達が使用していた業物のギア類が陳列されています。
当然どれも古びたものばかりですが、戦前や終戦後の物の足りない時代によくもこんな装備で魔の山に挑んだものだと心から尊敬の念をもちました。

R0010598s展示されている登山靴やピッケル、バイルなどを見ていると、ここ20年あまりの間に格段に進化をとげてきたのがよくわかりました。
今さら重たい重登山靴や折れやすいウッドのピッケルに戻る気はさらさらありませんが、アマニオイルで磨き込まれた二村のピッケルなどを見ていると「ああやっぱり良いなあ」と心から思えてきます。
道具に製作者の魂がこめられているのが伝わってくるからなのでしょうか。

水上駅で時間があればぜひお立ち寄りください。
一見の価値は十分にあります。

| | Comments (0)

2007.11.11

山里の秋

R0010445s11月の第二週になると、きまって南会津を訪れるようになって十数年が経ちます。
荒海山、七ヶ岳、会津駒ヶ岳、三岩岳など南会津をめぐる山々も非常に魅力的ですが、私にとってもっと魅力的なのは日本の原風景ともいえる美しい山村集落がいまでも随所に残っていることです。
山の暮らしと里の暮らしが密接に結びついているさまが同じ日常の空間として語られている世界がここにはあるのです。

R0010450s毎年訪れる南会津のリンゴ農家でのひとときは、忙しない都会での生活をいっとき忘れさせてくれます。
農家のオジチャンやオバチャンとかわす何気ない会話の中では、クマやサルの話題も大きなウェイトを占めます。
今年はドングリなど山の木の実がたくさんついたおかげで、クマは一度下りてきただけで大きな被害もなく済んだとのこと。
ここでは野生動物との共生というか棲み分けということも大きな関心事です。大切に育てたリンゴに被害が出なくてホッとした表情をみせていました。


R0010454s
本来ならこの時期木の葉も落ちて晩秋の風情をみせる南会津でしたが、暖かい秋のおかげで散り残る紅葉にありつけました。
良いのか悪いのかわかりませんが、やはり四季はずれることなく訪れてほしいものです。

R0010457s南会津の山々のなかで登り残している山はまだまだたくさんあります。
来年、雪が消えたら久しぶりに南会津の山々を歩いてみようかな。


| | Comments (2)

2007.09.08

車窓からの戦国模様

R0010253s

2週間ほど前の写真ですが、小海線からの沿線風景です。

あの日、北八ツからの帰り道、古い山の友人が八ヶ岳南麓に転居したので、久しぶりにお会いしたくなり寄り道してきました。

日本鉄道最高地点を走る小海線。
かつては私もよく利用しましたが、最近では車利用のためにほとんど使いません。
赤字解消のためでしょうか、ワンマンカーになっていました。
乗るときはいいのですが、降りるときは前方車両の出口しか降りることができず、知らないであやうく降りそこねるところでした。

R0010254sさて、そんな慌てたこともありましたが、ローカル線の旅は楽しいですね。
小淵沢から甲斐小泉に至る間、車窓右手の田んぼに「風林火山」と「武田菱」が黒々と印されていました。
もちろんNHK大河ドラマを盛り上げるための宣伝です。
駅のある北杜市にはドラマで使っている信玄館のセットがあるそうです。

稲穂の揺れるのどかな田んぼ。
収穫寸前に昨日の台風9号で倒伏していなければ良いのですが・・・

R0010255s

| | Comments (0)

2007.09.02

初秋の風を感じながら

070901kitatouhoku02異常に暑かった今年の夏でしたが、9月に入ったとたん季節は肌に心地よい涼風を運んでくれました。

さわやかな水しぶきに身をさらしていると肌寒ささえ感じる北東北。

いままで訪れる機会のなかった奥入瀬渓流から十和田湖、そして八甲田山麓を巡るミニ旅行に出かけてきました。

070901kitatouhoku03宿は八甲田山・高田大岳の登山基地である谷地温泉。
「日本三秘湯」の一つに数えられているそうな。
あとの二つは北海道と四国なので、金欠病の小屋番にとって全部制覇するのは至難の技ですが、木組みの浴槽の下から湧き出ている源泉はまさに「秘湯」の名に恥じません。

農家のおばちゃんとおぼしき団体さんがお国言葉でにぎやかに会話しているさまは何とも微笑ましいですね。
原則として混浴。
とはいえ、温泉ブームで若い女性も訪れるためか「女性専用浴場」もあるのでご安心を。

070901kitatouhoku01東北の秋はいいですね。
仕事柄、水田や畑の管理状況などに目がいきますが、田んぼの畔まできちんと手入れしている様は眺めていてとても気持ちが良いものです。
早場米の千葉ではすでに稲刈りが最盛期を迎えていますが、こちらは暑い夏の間に顔を出し始めた穂がすっかり出揃い傾き始めています。
いわゆる登熟期でしょうか。
これから成熟期をむかえてお彼岸の頃にはいよいよ稲刈りです。

一足先に秋の気配を感じてきた二日間でした。

| | Comments (0)

2007.08.04

秘湯・肘折温泉に遊ぶ

070804hijiori04
休みを利用して、親孝行がてら山形県は肘折温泉に出かけてきました。
肘折温泉は名峰月山や葉山の登山口としても知られていますが、今回は山登りは封印してひたすら温泉療養の旅です。

肘折温泉は「湯治場」という名にふさわしい温泉場です。
古くから近郷の人たちの湯治湯として栄えてきました。
開湯が西暦870年というから今年でちょうど1200年を迎えるそうです。

070804hijiori03温泉街はレトロな雰囲気に彩られています。
「旅情」という言葉が普通に口の端にのぼるようなあたたかい湯の町でした。
行き交う湯治客もこの温泉での滞在を心から満足しているかのようです。

朝の5時半からはそんな湯治客のための朝市が年中開かれているとか。
早起きして出かけてみました。
自炊客が多いせいか、地の野菜や漬け物など新鮮な食材が路頭に並べられていました。
いわゆる観光客向けの朝市でないのがなんとも魅力的でした。

070804hijiori02私たちは「短期滞在客」のために普通の旅館に厄介になりましたが、そこで供された食事の美味しかったこと!
すべてが自然の食材ばかりでしたので、満腹になっても胃がもたれることもなく気分爽快です。
朝食も心のこもったもので、宿の主人のもてなしの心が十分に感じられました。

湯も良し、食も良し、そして周囲をとりまく大蔵村の人情・風景もまた良し、の幸せな二日間でした。
この夏、貴方もぜひ訪れてみてください。

070804hijiori01

| | Comments (0)

2007.05.16

北上線で、ほっとゆだ

070516kitakami03ほっとゆだ?
なんだそれ?

カミサンがインターネットで調べものをしていたのを横で見ていたら、聞き慣れない言葉が並んでいました。
秋田県にほど近い岩手県西部の湯田温泉峡にある駅名なんだそうです。

6000円で新幹線を含むJR東日本の電車が一日中乗り放題の切符を手に入れて、さっそく北上線にある「ほっとゆだ駅」を訪ねてみました。

070516kitakami01新幹線はやてを利用すると3時間足らずで北上駅に到着です。
ここから2両編成の北上線に乗り換えます。
新緑が目にまぶしい沿線は今が田植えの最盛期でした。のんびりと車窓の景色を楽しみながら、およそ45分ほどでほっとゆだ駅に着きました。

駅舎内には温泉があります。
さっそく入浴しました。
広い浴室内には3つの浴槽があり、やや熱めのお湯が長旅の疲れを癒してくれます。
面白いのは信号が浴室内にあって、青色・黄色・赤色で発車時刻までの時間がわかる仕掛けになっていました。

070516kitakami04お風呂から上がったらちょうどお昼時。
駅前の食事処で地元産の食材をふんだんに使った定食に舌鼓を打ちました。
平日の昼間ということもあり、静かでゆったりと時が流れていきます。

ふたたび北上線に乗り、北上市へ。
この町も時間が止まっているのではないかと思われるほど、静寂があたりを支配している感じでした。
タクシーの運転手さんもあくびをかみ殺していました。

駅にほど近い「みちのく民俗村」を訪れましたが、ここは穴場です。
北上地方に残されていた江戸時代から明治時代にかけての古民家を移築した野外博物館です。
070516kitakami05藩政時代の豪農の屋敷、豪雪地帯の農家など29棟が移築・復元されているそうですが、広い園内と豊かな樹林に囲まれているために、とてもゆったりとした配置でくつろぐことができました。

朝、千葉を発って日帰りの旅でしたが、文明の利器をフルに使ったおかげで時間にはけっこう余裕がありました。
まともに電車賃を払えば往復で2万7千円以上かかりますが、それが6000円で済んだのですからこれで文句を言ってはいけませんよね。
070516kitakami06

| | Comments (3)

2006.10.28

秋、農村を歩く

061028kaisuka01お天気に恵まれた土曜日。
南房総の農村部を歩いてきました。

あぜ道を歩いていると、背丈以上の高土手の草刈りをしている光景に出会いました。

傾斜地の水田ではどうしても畦が高くなります。
畦の管理をおろそかにすると、水漏れや崩れの原因になるので農閑期であっても管理は怠りません。
こうした日常の手入れが国土の保全、災害防止にもつながるのです。

海と山と緑にめぐまれた南房総地域ですが、山間傾斜地の多い、いわゆる中山間地域で農業を営むということは労力的にとてもたいへんなこと。
平野部にくらべて5割以上も耕作放棄地が増えているのも、ある意味仕方のない現実です。

061028kaisuka02しかし、そんなハンディを乗り越えて手入れの行き届いた農地がひろがる風景はほんとうに美しいですね。

千葉県にも棚田が広がる風景が少しだけ残されています。
日常生活のストレスから逃れて、美しい農村風景の中に身をおくとしみじみと心が洗われる思いに浸ることができますが、都会の人々にはぜひ中山間地域の農業の厳しさにも思いを馳せてほしいものです。

| | Comments (3)

2006.10.04

教科書の記憶

061004kamogawa02小学校の低学年の頃だったと思います。
社会科の教科書に「私たちの住むまち」なんていうタイトルで、教科書の見開きいっぱいに美しい風景が描かれていました。

そこには山あり、海あり、漁港あり、街あり、田んぼありの典型的な日本の農山漁村の風景が描かれていたように記憶しています。
景色のそれぞれに「てつどう」「ぎょこう」「すいでん」「かじゅえん」などと説明書きが付けられていました。

061004kamogawa01私はその教科書がいつまでも忘れられなくて、教科書に出ていた「まち」はどこにあるんだろう、と子供ながらに楽しい想像をめぐらせていたものです。
そんな教科書の世界が現実にあるとしたら、ここ房州鴨川などは第一の候補だろうなあと思います。

千葉方面から車を走らせて「鴨川道路」の山越えをすると突然海と平野が視界に飛び込んできます。
低山とはいえ、それなりの険しさを見せる房総丘陵の狭い空間から突如として解き放される開放感は何ともいえません。
無限の広がりを見せる太平洋に臨んで、山と平野とが適度に調和した箱庭のような地形を見せてくれるのが鴨川です。

タイトな仕事の移動の合間に地元の人に案内していただいた展望台からは、まさに小学校の頃に見た教科書の世界が広がっていました。
061004kamogawa03

| | Comments (3)

2006.09.25

雷鳥とサンダーバード

060924noto02「サンダーバード?」
「何これ? 何で横文字なのよー! この電車はー!」
カミサンが一人で怒っています。

「バカだなあ、お前はー だから息子からバカにされるんだよー」
「いいかぁー! サンダーは雷、バードは鳥、サンダーバード号は日本語に訳すと<雷鳥>だろうがー!」
「この電車は今はない由緒正しい名特急<雷鳥>の後継なのだよ。」

・・・と中途半端な雑学を自慢していると、何と!隣のホームに特急<雷鳥>が入線してくるではないですか!
たしかに日本アルプスに生息する雷鳥がデザインされたプレートを付けています。

060924noto01「あれ!」
「なんだ、<雷鳥>って今でもあるんじゃない! なのに何でサンダーバードがあるのよぉー!」
「そんなもん知るか!」

昨日の金沢駅での一コマです。
てっきり<雷鳥>の後継車両がサンダーバードとばかり思っていました。
あとで調べたらこれは半分は正しかったのですが、今度の秋のダイヤ改正ではじめて雷鳥は退役し、サンダーバードにすべて置き換わるそうです。

ところで、雷鳥の英名は本当にサンダーバードなのかしら?
辞書で調べたら、これがぜんぜん違っていました。(笑)

三省堂『エクシード和英辞典』によれば、
日本アルプスの雷鳥=a ptarmigan(Rock Ptarmigan)
サンダーバード【thunderbird】=西部アメリカ-インディアンが、雷鳴・電光を起こすと信じていた想像上の巨鳥。
つまり、雷鳥=サンダーバードじゃないということ?

060924noto03・・・ということは、JR西日本も間違えていたのでしょうか?
それとも雷鳥が伝説の巨鳥に進化した?

| | Comments (4)

2006.07.03

雨の青森・陸中海岸

我が家から青森県八戸市まで新幹線で行くとなると、片道で約1万5千円かかります。
往復では約3万円。
それが、3日間新幹線を含むJR東日本全線乗り放題、指定券6枚付きで1万2千円ポッキリ。
JR東日本が売り出した「大人の休日倶楽部」での企画。
これは行くしかない。

・・・とういうわけで、雨の北東北、陸中海岸沿いをドライブしてきました。
東京から青森県の八戸まで新幹線「はやて」でたったの3時間。これには素直におどろきました。
と、ここまでは良かったのですが・・・。

一番楽しみにしていた北山崎の絶景は重く垂れ込める雨雲と霧の中。
では、せめて浄土ヶ浜こそはと期待したけれど、これまた雨と濃霧で水平線さえ判別できないとは・・・。

060702ryuusendousこれほど雨にたたられた旅行も初めてです。
紺碧の太平洋が眼下に見下ろせるのがウリのリゾートホテルでしたが、どこからどこまでが海なのかとうとう判別できませんでした。
あまけに夜の会席料理の豪華絢爛さが仇となり、いま食べ過ぎで胃薬の世話になっています。

いやはや、身分相応に近郊の低山で岩トレかハイキングをやってればよかったのかも。
とほほ・・・

| | Comments (5)

2006.06.04

那須疏水

Nasusosui01いつか見たいと思っていた日本三大疏水(そすい)のひとつ、那須疏水の取水口をはじめて訪れました。
明治18年、当時の土木技術の粋を結集してわずか5ヶ月という驚異的なスピードで幹線部分16.3kmが開削されました。完成当時の取水口も残っています。
また、明治38年の改修でつくられた取水口も石積みの重厚な構造物として保存されていました。

Nasusosui02水量豊富な那珂川の水を取り入れて広大な那須野ヶ原の農地の隅々にまで用水を運んでくれています。
取り入れ口付近の水の流れには格別の勢いがあって見飽きることがありません。
この勢いを持続させながら末端に広がる農地を次々と潤していくのですね。

| | Comments (0)

2006.05.01

姫川源流にて

Himekawa02姫川は日本海に注ぐ河川です。

その源である「姫川源流」一帯は、春の雪解けとともにフクジュソウ(福寿草)の花におおわれていました。

はじめてこの地を訪れましたが、その瑞々しさに素直に感動しました。

Himekawa03これだけの大群落を目にしたのは初めてです。

ミズバショウ(水芭蕉)やアズマイチゲ(東一華)も咲き始め、春がいっぱい溢れている白馬山麓でした。

Himekawa01


Himekawa04


|

2005.11.30

シカは左側通行?

日本三景の一、安芸の宮島を訪れてきました。
二度目の訪問です。
前回はパック旅行の途次だったので、ちょこっと寄り道をしたようなものでしたが、今回は宮島で宿を求めたのでゆっくりと散策をする余裕が持てました。
それにしても驚いたのがシカの多いことです。
どこを歩いてもシカに出会います。奈良公園のシカは約1300頭といわれていますが、それには及ばないもののこちらも十分に多いです。500頭近くはいるとの噂もあるようです。

それにしても面白かったのは彼らがちゃんと左側通行で歩いていること。
人は右側、動物は左側なのでしょうか?

RIMG0057-s

RIMG0071-s

| | Comments (1) | TrackBack (0)

2005.11.13

晩秋の南会津から那須高原へ

晩秋の南会津を訪れました。
東北道を西那須野ICで下り、箒川沿いに展開する塩原温泉郷の紅葉を楽しみながら北上しました。

aidu01

栃木県最奥の藤原町を過ぎ、山王トンネルを越えると南会津です。なつかしい会津七つが岳はうっすらと雪化粧をほどこしていました。
会津田島からは名峰二岐山が間近に眺められます。二岐山から大白森山を経て甲子峠に連なる尾根筋は、私にとってはあこがれのコース。いつかは歩いてみたいものです。

aidu02

毎年秋に必ず訪れるリンゴ園です。
昨年はツキノワグマの食害に悩まされたとか。リンゴの木にはたくさんのクマの爪痕が残っていました。
今年はフジ、ジョナゴールド、ムツといった定番の品種の他、姫神(ひめがみ)や北斗(ほくと)、世界一といった品種も試食する機会に恵まれました。

aidu03

例年よりも2週間ほど遅い紅葉。
しかし、11月も半ばに近づくこの時期になると、さすがに盛りを過ぎていました。
”子の手模様”のモミジの落ち葉がまるで絨毯のように敷き詰められていたのが印象的でした。

aidu04

帰路立ち寄った那須高原。
那須の山々は新雪のまばゆい衣を身に纏い、来るべく冬山の厳しい姿を思い起こさせてくれました。

| | Comments (12) | TrackBack (0)

2005.10.25

東京時間溯行 その6

RIMG0003-s

久しぶりの東京時間溯行です。
今回は地下鉄銀座線の赤坂見附で降りて、豊川稲荷東京別院に。
「千本のぼり」といわれる赤と白ののぼりが所狭しと奉納されていて賑やかな境内でした。
お稲荷さんなので狐さんがそここに鎮座しています。ジッとにらまれるとちょっと怖いですね。

お稲荷さんを後にして目指すは地上250m超の六本木ヒルズ。
ここからはまだまだ遠いです。
赤坂の名前の由来でしょうか。やたらに坂の多い地形をゆるやかなアップダウンを繰り返しながら歩きました。
鉄砲坂、新坂などなど、坂の名前が標識に記されていました。
この界隈には外国の大使館なども多く、都心とは思えないほど静かなたたずまいを残しています。

RIMG0007-s

やがて、乃木坂に出てこれをゆるやかにたどれば右手に乃木神社。少し早いですが境内は七五三のお祝いでしょうか。家族連れで賑わっていました。
乃木大将といってもあまり知識はありませんでした。神社の横手に旧乃木邸が残されているのでこれも見学しました。
馬小屋や煉瓦塀が明治の名残を色濃くとどめています。本邸も飾り気がなくじつに質素なつくりです。昔の人は偉かった。

足に疲れが溜まるころ、ようやく六本木ヒルズに到着。
52階で開催中のレオナルドダビンチ展を見学。ついでに展望台にも足を運びました。
今日は最高の天気です。
丹沢、奥多摩の奥に富士山が午後の逆光に輝いていました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.07.16

房総半島と竹炭

RIMG0021-s昨日、一昨日と仕事で房総半島の南半部をまわってきました。
房総半島は低山・丘陵の連なりで構成されています。登山やハイキングの対象としてはやや役不足の感は否めませんが、複雑に入り組んだ山容、南米アマゾン川のように蛇行する渓谷、マテバシイに覆われた山々は低山とはいえ、なかなかの風格があります。

残念ながら仕事だったので、ハイキングというわけにはいきませんでしたが、長靴に「ヒルガード」なる液状のヒル除けを塗り、草深い山々をかき分けていきました。
休耕した田んぼの脇から湧水が流れ込み、まるで尾瀬のような湿地帯を形成しています。
そこは絶滅危惧種の楽園になっていました。
「里山」と呼ばれるエリアは山間集落と奥山との中間地帯です。手入れの行き届いた自然環境がRDBに記載されているような絶滅危惧種の動植物・昆虫類の生息を可能にしています。
人の手が入らなくなったら逆に生存環境が侵されるような種もあり、生態系保全のための施策の難しさを感じます。

RIMG0002-sさて、房総半島の山々は人々の営みの濃い山地。炭焼き窯も各所に点在しています。
大多喜町は炭の産地として有名です。
前から試してみたかった竹炭が格安で売っていたので買ってみました。
さっそく電気釜の中に入れてご飯を炊いてみたところ、古米特有の臭いが消えて驚くやらうれしいやら。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2005.04.17

東京時間溯行 その5

葉桜にも風情が…小石川後楽園を訪れました。
中央線水道橋駅からおよそ600m。歩いて7~8分といったところでしょうか。
ここはご存じ水戸徳川家の上屋敷にあった庭園です。
典型的な大名式庭園として駒込の六義園とともに都内を代表する名園です。
前から訪れてみたいと思っていたのですが、あまりにも便利な場所にあるため、いつでも行かれるからと結局行かずじまいになっていた場所です。

水戸徳川家といえば水戸黄門。
諸国漫遊記は後世の創作であることはみなさんご存じのとおり。
水戸徳川家は「江戸定府」の家柄で、参勤交代が免ぜられていました。つまり、つねに江戸常住の身であったわけで、それはそれで窮屈な身分だったのかも知れません。
園内には、京都の渡月橋や琵琶湖など諸国の名所が模されて造られています。居ながらにして全国を旅する趣向が凝らされていました。江戸定府という境遇が、ここ小石川の地に後世まで伝えられる名園を残したのかも知れません。

静寂な中にも華やかさが…園内には徳川光圀由来の得仁堂や円月橋などの建造物も残されていますが、その他の建造物は都心故に関東大震災や戦災で焼失してしまったとのこと。まことに残念です。
東京ドームや後楽園ゆうえんち方面からの歓声や嬌声が漏れ聞こえてきます。それでもほんの少し奥に入れば都心とは思えないほど静寂な雰囲気があたりを支配していました。

何という花だろう?いまは桜も終わり、お花は端境期でしたが6月には菖蒲が咲き競うそうです。
12月初めの紅葉とあわせてあと二回は訪れてみたい場所です。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2005.02.13

週末は海外で…

メディテレーニアンハーバーを望む…過ごせたらいいなあ。(^^;
一介のサラリーマンにとってはそんなことは夢のまた夢の世界。
この3連休は山には行かずにおとなしくしていようと思っていたら、カミサンから「ディズニーリゾートに行かない?」との思わぬお誘いが…。
「エエー!」ウソだろう?二人合わせて104歳だぜ。
なんでも去年買った割引券の有効期限が迫っているそうな。じゃあ、もったいないからと一緒に出かけることにした。
我が家から東京ディズニーランドまでは直線距離で約15km。意外と近い。しかし「パスポート」が高すぎてまだ入ったことは2回しかない。我が家にとっては近くて遠いどこかの外国と同じだ。
今回は後からできたディズニーシーを訪れた。
いやあ、たしかによくできてるなあ。入った途端、中世ヨーロッパのムードに浸ることができる。はるか前方には何やら噴煙をたなびかせている火山が。
「プロメテウス火山」という山らしい。うーむ、登高意欲をひきつける精巧さである。近づいてみるとクラックやオーバーハングなどもあり、クライマーもゴキゲンになること請け合いだ。プロメテウス火山
園内は中世ヨーロッパあり、1920年代のアメリカあり、アラビアンナイトあり、アマゾンのジャングルからインディジョーンズの活躍する中央アメリカありで、それらが上手く融合されてなんとも不思議な空間を作りだしている。
これなら本物のパスポートを使って海外旅行に行かなくてもいいかな?
しかし、園内の食事料金の高さはハンパじゃない。家族4人で一日いたらウン万円のお金が吹っ飛ぶような仕組みになっている。
しっかり者のカミサンは園内では一切お金を落とさずにゲートを後にした。落としたのは自宅から持ってきた食料の包装紙だけ。いやーご立派!

| | Comments (4) | TrackBack (0)

2004.12.07

「蒼穹の昴」のふるさとを行く

西太后の夏の離宮「頤和園」

伴野朗の小説を読みあさっていた時期があった。
中国古典に明るく(元朝日新聞北京支局長)、近・現代の中国を舞台にした小説やそれ以前の時代小説も含めてたくさんの著作がある。
伴野氏の歴史小説で中国史に興味をもち、浅田次郎のベストセラー小説「蒼穹の昴」で清朝末期の中国にはまってしまった。

清朝は中国最後の王朝であり、1840年のアヘン戦争を境としてそれまで大帝国と恐れられていた中国と、その後列強諸国に食い荒らされる弱い中国の両面をさらけだした王朝だ。
「蒼穹の昴」はその清朝末期、西欧列強に侵食される落日の清朝のきらめきと、他方、近代国家への革新をはかる新たな勢力の挑戦を描いたスケールの大きな歴史小説である。

歴史に名高い西太后や李鴻章、袁世凱といった歴史上に実在した人物がたくさん登場する反面、科挙登第(合格)の李文秀と宦官の道を歩きはじめた春児という二人の若い架空の人物が主人公。
科挙の仕組みや宦官の実態などが精密な描写で描かれており、それだけでも読む価値はあると思う。
前半は面白くてグイグイと物語に引き込まれる。後半は物語が時代的にもやや錯綜するのと、史実にしばられてしまい、やや硬い印象を受けるのが残念といえば残念だった。わずか百年前の出来事を扱っているので難しい面もあるのかもしれない。
もっとも私のような歴史好きには面白くてたまらない小説であったが。

天安門の夜景

おっと話が脱線してしまった。
じつは勤続30年の記念に会社から3日間の休暇がもらえたのでそれを利用して、小説の舞台となった紫禁城や頤和園(いわえん)を訪れる機会を得た。
いやはや聞きしにまさるとはこのこと。
紫禁城の建物数700以上で部屋数9000以上というスケールに驚いていたら、頤和園(西太后の別荘)の面積は紫禁城の4倍だとか。池を掘った土で、立派な山まで築き上げたのを見てさすがに驚く。西太后や光緒帝、大物宦官の李連英らが起居した数々の建物群に、清朝末期多くの人材が入り乱れ激しくせめぎあった頃の強い思いを少しは感じることができたと思う。

胡同の街並み

いま北京は4年後のオリンピック開催を目指して建築ラッシュに沸いている。胡同(フートン)に代表される古い街並みが徐々に消えつつある。
街並みは変貌を遂げつつあるが、まだまだ古い北京の雰囲気を味わうことができた。
そういう意味では実にいい時期に訪問することができたと思っている。


| | Comments (3) | TrackBack (0)

2004.07.03

快気祝いの小旅行

あじさいに彩られた大雄山最乗寺の参道

梅雨の最中とは思えない好天が続く中、伊豆と小田原の小旅行を楽しんだ。

「伊豆の宝石」と呼ばれ、古くから文人たちにも愛されてきた一碧湖畔に宿をとり、翌日は小田原に立ち寄り、いままで機会のなかった大雄山最乗寺(道了尊)を訪れることができた。

普通電車ながら往復にグリーン車を奮発した。「奮発」といっても、デイタイムグリーン券といって、津田沼から伊東まで約150km弱を片道500円で乗れる格安チケットを使ったもの。
土日と平日の昼間しか使えないが、普段乗ったことのないグリーン車で出かける気分は最高だ。(^^)

一碧湖は伊豆火山群の火口湖。
ひょうたん形をしていて大きい湖と小さな沼地に分かれていた。それぞれの沼を一周してみたが、手頃な森林浴が楽しめる。湖面は静かで確かに宝石を連想させる。
湖畔からはまん丸い大室山をはじめ、遠く天城連山の連なりが眺められ、山へのあこがれが強くなる。
夏風邪もようやく良くなったので、来週あたりはどこかに行こうか。

翌朝は、温泉に浸かったあとは湖畔を散歩。
宿でゆっくり過ごしたあとは、帰路小田原に立ち寄る。
大雄山線は初めて乗るローカル線。およそ20分で終点大雄山駅へ。そこからバスで道了尊へ向かった。
深い杉木立に囲まれた大雄山最乗寺。参道のそこここには今を盛りのあじさいが咲き誇っていた。
曹洞宗の古刹というか巨刹の最乗寺。堂宇も雄大でかなり高い格式を忍ばせる。
ここの名物は世界最大の下駄。もちろん鉄製だが、縁起を担いで下駄の周りをぐるぐる回り、足腰の壮健を祈った。
ここからは明神・明星ヶ岳方面のハイキングコースの起点になっている。晩秋の澄み切った大気を思いっきり吸い込んでの外輪山縦走も楽しいだろうな。

カミサンの誕生日を祝っての小旅行であったが、私の快気祝い旅行にもなったみたいだ。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

2004.05.04

東京時間溯行その4

メイストーム(5月の嵐)が通過中の都内を風に煽られながら歩いてみた。

このところ下町方面が多かったので、今回は趣向を変えて目黒界隈へ。
といってもお目当ては目黒不動尊ぐらいなもので五百羅漢寺なども訪れてみたかったが今回は時間がなく次回のお楽しみにということに。

目黒駅からバスで碑文谷2丁目下車。まずは古刹として名高い円融寺へ。
住宅街の一角にある円融寺。6年前に初めて訪れたとき、その由緒ある建物群に目を瞠った。ここの釈迦堂は都内最古の木造建築物だとか。重要文化財に指定されている堂宇は簡素な造りだが飾りっ気を廃した気取りのないつくりが好ましい。


緑濃いお寺の一角にあるお墓には岳友が眠っている。
6年ぶり、すなわち七回忌にあたる今日、情けないことにお墓の場所を失念してしまっていた。どうにか場所が判り久しぶりの対面。お線香を上げさせてもらう。

6年前の5月4日はぬけるような青空だった。
私たちの目の前で堅雪の急斜面をみるみる視界から遠ざかっていった彼女の行方を最後まで見続ける勇気はなかった。
足はガクガクと震え、何もできなかったことが今でも悔いの残る出来事だった。
雪が消える6月頃になったら、穂高岳沢に当時の仲間たちで再訪しよう。


目黒不動のイメージ写真

立ち去りがたいものもあったが、時間も押していたので次の目的地である目黒不動へと向かう。
今日は地図無しなので道順を人に聞くしかない。道行く人たちに年輩の方が多く、何度か教えを請いながらも無事にたどり着くことができた。
円融寺から歩いて25分ほど。「林試の森」というこんもりとした緑の空間を過ぎてすぐの場所に目黒不動はあった。

西暦801年の開基とあったが、関東でも最古のお不動さんだとか。
目黒不動が世に有名になったのは徳川三代将軍家光の治世あたりからだそうな。門前も賑わいを見せていたにちがいない。
でも、私の興味はそこにはなく池波正太郎による鬼平犯科帳に登場する舞台としての目黒不動だ。
鬼平曰く 『そうじゃ、久栄に黒飴をみやげにつかわそう』 と、よく語る名物の黒飴。
同行してくれた甘党のカミサンに買ってあげようとマジに探したのだが、どうやら黒飴は小説の中だけのフィクションなのかあるいは江戸時代限りの名物だったのか。どこを探しても売ってはいなかった。

江戸時代には30あまりもの堂塔をもつ大霊場だった目黒不動も今では本堂まわりを中心にこじんまりとしている。
それでも寺名(瀧泉寺)の由来となった「独鈷の滝」や「大日如来坐像」など見所もあり、歩き疲れた身には特効薬になってくれた。

お腹も空いてきたので、近くの五百羅漢寺は割愛してバスで五反田駅に出て帰路についた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.03.18

花灯路 そして 25・50・100

カミサンと私、そして私の父親ともども異色?の3人連れで京都を訪れた。

京都にはここ2年ばかりの間に3度目の訪問となる。
訪れれば訪れるほど深みにはまってしまう。単に古寺を巡るだけでなく、街並みのそこここに息づく昔からの生活の臭いに触れるのも魅力だから。

この時期、京都は旅行の閑散期である。
冬の雪景色があるわけでなし、木々も葉を落としているし、桜や新緑には間があるからだ。
そこがわれわれ薄給サラリーマンのねらい目である。この時期こそ京都旅行にはおすすめなのである。

1.旅費、宿泊費が安い。
2.ふだん拝観出来ない寺社や庭園などの特別公開期間が集中している。
3.道路が空いている。
4.客寄せのイベントが盛り沢山。
清水の舞台から眺めた京都市街の夜景

今回は東山山麓での「花灯路」が目玉の一つだった。
清水寺から八坂の塔を経て高台寺、八坂神社、知恩院、清蓮院にかけてのエリアの道ばたに路地灯籠が2400基も置かれていて、足下をほのかな灯りが照らしてくれていた。
折から、この時期に合わせて各寺院はライトアップされているのでとても美しい景観をつくっている。
もちろん、夜桜時期の美しさには及ばないが「あと3週間もしたら人だかりで大変だろうね」などと話しながら人もまばらな夜の境内を散歩するのも楽しいものだ。

今回は各寺院に残されている名園と呼ばれる庭園のいくつかを鑑賞する機会が得られた。
印象的だったのは東福寺の塔頭(たっちゅう)の一つである退耕庵に残る茶室「作夢軒」。

浅春のこの時期しか一般に公開されない茶室であるが、ここであの関ヶ原合戦の事前謀議が練られたという。
住職の安国寺恵瓊は毛利家の外交僧として有名。そこに石田三成、宇喜田、小早川らの諸将らがひそかに集まって謀議した茶室だそうな。
茶室なのに、隣室には侍の控えの間があったり、天井には忍び部屋も設けられていた。なんとも物々しい空間だが茶室の前にゆったりと広がる枯山水の庭園が、そうした緊張感をやわらげてくれる。
およそ400年前、ここが歴史の大きな裏舞台の一つだったなんて思うと、茶室の柱の一つひとつを改めて撫でてしまった。


ところで、25・50・100って・・・?
今年は結婚25周年。二人合わせて50歳の時に結婚し、今年は二人合わせてちょうど100歳。
数字の語呂合わせになるが、そんなキリのいい年に浅春の古都巡礼となった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2004.01.11

東京時間溯行その3

少し遅れたが初詣を兼ねて湯島・本郷界隈を歩く。

湯島は「湯島天神」で名高い。何度も訪れた場所であるが、本郷を結んで歩いたことがなかったので、お天気もいいのでお茶の水から湯島聖堂、神田明神を経て湯島天神に詣で、さらに本郷界隈へ足をのばして御徒町まで歩いてみた。

お茶の水を聖橋口へ出てすぐの湯島聖堂へむかう。
儒学に熱心だった5代将軍綱吉が建てたもので、黒漆塗りの荘厳なたたずまいだった。線路際にあるにもかかわらず静かで落ちついた雰囲気が保たれている。
学問の神様をお祀りしているのでちらほらと参拝客もいたが、これから向かう湯島天神の比ではなかった。

湯島聖堂を出て角を曲がるとすぐに神田明神社がある。ここは初めてだ。商売の神様だけあって年初から賑わいをみせていた。名物である天野屋の甘酒を飲んでみたかったが混んでいたのであきらめる。

蔵前橋通りを越えてすぐにあるのが妻恋坂。坂道を少し入ったところにあるのが妻恋神社。残念ながらラブホテル街にあり往時の面影はない。境内では氏子衆が社の掃除をしていた。にこやかに挨拶をかけてくれる。
こういう古くからの湯島の人たちによって代々守られてきたんだろうな。
このあたりは坂が多い。「神田明神下」「清水坂下」「三組坂上」「湯島坂上」などなど・・・。

ぶらぶら歩くと何やら人だかりが・・・。自然と湯島天神(湯島神社)の境内にみちびかれた。
ご存じ学問の神様、菅原道真公をお祀りする天満宮。センター入試直前のこの時期の参拝客はたいへんなものだ。
古いお札をお納めして新しいお札をいただくが、何10分並んだだろうか。いやはや疲れた。

さて、ここからは初体験ゾーンだ。春日通りを本郷に向かってそぞろ歩く。途中、石川啄木の歌碑を見、さらに右手に麟祥院が見えるはずだったが見落としてしまった。麟祥院は春日局の菩提寺。彼女のお墓もあるとのこと。次回はぜひ訪れてみたい。

本郷三丁目を右に折れると、赤門があった。ご存じ加賀前田家に輿入れした姫のために建てられた門である。百万石の偉容が忍ばれる壮麗な門構えに圧倒される。朱塗りのせいか上野にある黒門とは違った華麗な雰囲気が漂う。
ついでに東大構内を見学する。さすがは日本の最高学府。古色蒼然とした建物が軒をつらねている。休日のため人通りがなかったため余計に冷たく感じられた。
安田講堂も見学し、弥生門から外に出ると、門前には立原道造の記念館が建てられていた。夭折の天才詩人としてしか知らなかったが、彼は東大工学部卒の優秀な建築家でもあったらしい。

少し歩くと今度は竹久夢二美術館。そんなに道草できないので先を急ぐ。このあたりは江戸時代前田家の屋敷裏にあたり鬱蒼とした樹木に覆われていたことから暗闇坂と呼ばれていたらしい。
ゆるやかな坂道をのんびり歩くと池之端から不忍池に出た。そういえば暗闇坂から池之端界隈は鬼兵犯科帳にも登場した場所だったと記憶しているのだが・・・。池では冬の水鳥たちが水面でのんびりと羽を休めていた。

写真:東洋文庫収蔵の浮世絵

御徒町から電車で東京駅へと向かう。
新装なった丸ビルに初めて入る。ここの7階で開催されている「東洋文庫名品展」を訪れるためだ。
「東洋文庫」は三菱の創始者岩崎家の三代目当主が設立した世界的な東洋学の専門図書館。そこの収蔵品を公開するということで好奇心からのぞいてみた。
歌麿や写楽の浮世絵の美しさも素晴らしかったが、江戸時代の文化・風俗が様々な浮世絵や古地図、錦絵などによってわかりやすく展示してあった。
とりわけ感動したのは杉田玄白によって著された「解体新書」やマルコポーロの「東方見聞録」、さらにはシーボルトの日本動物記などの実物が展示してあったこと。
これらの書物はかつて受験勉強で得られた知識程度しかなかったため、単なる知識としてしか頭の中に入っていなかったのだが、今回初めて実物を見ることができ素直に感動した。
昨年暮れに観覧した伊能忠敬の日本地図もそうだったが、乏しい情報を最大限活用しようとした当時の人たちの進取の気性の鋭さにただただ驚く。

今日はずいぶん歩いた。東京駅に戻ったところでこれから大丸デパートの踏査に向かうカミサンと別れる。
これ以上はつきあってられないからね。(^^;

| | Comments (0) | TrackBack (12)

2003.10.19

東京時間溯行その2

今日は一日いいお天気。
有名な「べったら市」にはまだ行ったことがなかったので、江戸の情緒をもとめてカミサンと東京の下町を歩くことにした。

日本橋から小伝馬町方向に歩いてすぐで寶田恵比寿神社の祭礼、べったら市が開かれていた。大根の漬け物であるべったら漬けの香りが横町界隈を漂っていた。漬物店よりも種々雑多な露店の方が多かったのは意外だったが。
べったら市を後にして、小伝馬町から人形町を経て浜町に。日曜日のせいか問屋街もひっそりとして静かな下町散歩ができる。

浜町にでると隅田川の流れが眼前に広がる。川沿いの遊歩道をそぞろ歩きしながら川上へぶらぶら歩く。無風快晴の空の下を遊覧船がのどかに下っていく。そうだ、浅草に行ってみよう。
隅田川に沿って両国橋、蔵前橋を右に見ながらのんびり歩く。ハゼ釣りの釣り人達が盛んに竿を垂れていた。

写真:浅草・浅草寺の仲見世

浅草橋を過ぎると駒形に出る。駒形と言えば「どぜう」。あいにく昼時のためか玄関脇にも順番待ちの列が延びていたのでどじょう料理は断念。かわりにやはり駒形名物の「麦とろ」の暖簾をくぐる。
久しぶりの訪問だが、相変わらず行き届いたサービスに感心。

満腹になったら浅草寺。雷門をくぐったとたん、人、人、人、の大にぎわいに圧倒される。
人混みをかき分けてなんとかお参りをすませた後は、やはり隅田川の川面の風を受けたくなったので水上バス乗り場へ。

午後のにぶい陽光をたっぷりと受けながら船上の人となる。隅田川13橋をくぐって浜離宮庭園で下船。
徳川将軍家の鷹狩り場だった広大な庭園内をゆっくり参観し、汐留周辺の変わり様に目を丸くしながら新橋駅に向かった。
池波正太郎の愛した下町情緒をたっぷりと楽しんだ一日だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.09.23

石山寺

21,22日の両日、京都・近江路方面を旅行してきた。

大原の三千院から始まって、比叡山根本中堂、西教寺、日吉大社、近江八幡市街、日牟礼八幡宮、石山寺、三井寺といった古寺社巡りの小旅行だ。
しばしば訪れる関西方面でも湖南方面はなかなか訪れる機会がないので久しぶりの訪問は楽しかった。
中でも紫式部ゆかりのお寺である石山寺はよかった。お寺の名前の由来が境内に露出している珪灰石(花崗岩が焼けて変成した岩)から来ていることも今回はじめて知った。

有名な多宝塔の基部にはちょうど根が生えたように珪灰石の露岩が盛り上がっていて、本堂と合わせてまさに「石の上に建つ寺」=石山寺なんだなあと妙に感心する。
この珪灰石、触ってみるとフリクションがばっちり効く。さすが花崗岩の仲間だけのことはある。こうしてみると石山寺はボルダリングの名所になりそうだが、天然記念物として柵で囲われているし、さすがにそんな不謹慎なことをする人間は一人もいないようだ。(^^;

「古寺巡礼の旅」のつもりであったが、どうしても目は比叡山・比良山系や伊吹山にむけられてしまい、山とは縁が切れそうにない自分をおかしく感じた2日間だった。

写真:美しい近江八幡の水回廊
         ↑ 近江八幡の美しい街並み

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.05.06

東京時間溯行

連休後半の3連休はおとなしくしていた。
ホームページの更新作業や、もう一つの趣味である史跡散歩やらであっという間の3日間だった。
今年は徳川家康が江戸に幕府を開いてからちょうど400年にあたるとかで、いろいろな催し物が花盛りだ。
それに連動したわけではないが、この連休を利用して「江戸東京博物館」と「六義園」「古河庭園」を鑑賞してきた。

3日に出かけた江戸東京博物館は開館10周年とのことでとても賑わっていた。特別展は「宮本武蔵」。大河ドラマにあやかってのものだろうが、剣豪武蔵と文人武蔵の両方の側面がていねいに展示されていた。
戦国時代の剣豪、上泉伊勢守が柳生石舟斉(宗矩)にあてた新陰流の「印可状」など貴重な文書もあり興味深かった。

5日には六義園と古河庭園を訪れた。
駒込にある六義園は、あの柳沢出羽守吉保が享保年間につくった名園である。柳沢家の下屋敷であり、明治に入って政商岩崎弥太郎の所有を経て、東京都に寄付され今日に至っている。
今回で二度目の来訪だが、前回はゆっくりできなかったので、今回はボランティアのガイドさんにお願いして説明を聞きながらゆっくりと回らせてもらった。
とても都内にあるとは思えない静けさに包まれた庭園である。鬱蒼とした樹々に歴史の重みを感じることができた。将軍綱吉の死後、隠居をした吉保は死ぬまでの5年間をここで過ごしたという。失意の5年間、どのような気持ちで日々を送ったのだろうか。

六義園を辞してから老舗の蕎麦屋で天ざるを食したあと、古河庭園に向かう。六義園からは徒歩15分くらいか。
こちらは大正年間に建てられた古河財閥当主の洋館を中心とした和洋折衷の庭園である。バラの時期には今少し早かったのが残念だった。シックな洋館と西洋庭園、その奥には日本庭園と、いやはや富豪と言われるお金持ちにはかなわない。
洋館ではちょうど結婚披露宴が催されていた。こんな素晴らしいロケーションで披露宴ができるなんて幸せだな。でも庭園の見学者に覗かれているみたいでちょっと可哀想(^^;

3連休の2日間を使っての「東京時間溯行」。都会も満更捨てたものではない。

030505hurukawa.jpg
       ↑ 駒込にある古河庭園

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.04.19

お遍路

「四国遍路」…四国八十八箇所札所巡りなど、いままで意識の底にはほとんどなかった。
何気なく開いたアウトドア専門誌に「お遍路」の特集があったので、通勤の車中で読み始めたら、これが結構面白い。

そもそも八十八箇所の札所がどこにあるのかさえ知らなかったのだが、四国一円にあること、歩いてまわると総延長約1100kmにも達することを知り、ちょっと驚いた。
四国遍路に訪れる人の総数は年間約30万人とか。その大半は車で効率的にお寺を巡るものだが、総数の1%にあたる約3000人の人たちが「歩き遍路」を実践しているらしい。
一日30kmを休みなく歩き続けても約40日近くかかる超ロングトレイル。「東海道五十三次」(約500km)の2倍以上のスケールがわかろうというものだ。

弘法大師の修行の道をたどるお遍路歩き。「同行二人(どうぎょうににん)」といって、一人でたどってもいつも弘法大師がそばにいてその守りを受けていて「お大師さまと二人連れ」ということらしい。

私は仏教のことはわからないけど、なぜかとても暖かみのある言葉だと思う。
これだけのロングトレイルをたどる旅である。道中たくさんの出会いや発見があるにちがいない。
定年退職まであと8年。退職したら、お遍路に挑戦したいものだ。
インターネットで調べたら、やはりその道の達人達のサイトがあるものである。興味のある方は下記URLを参照してみては?

http://www.kushima.com/henro/
http://www.manekineko.ne.jp/hatsuo/annai.html

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2003.04.13

菜の花200万本!

今日はあまりに暖かいので、カミサン同伴で鹿野山マザー牧場にドライブに出かけた。
マザー牧場なんて、何年ぶりだろう?子ども達が保育園の頃に連れてきた記憶があるので、15,6年ぶりということになる。その時は冬だったので、寒かった記憶しかないが、春のこの時期はじつに素晴らしい。

牧場内には桜がまだ花をつけており、山肌には鮮やかな黄色の菜の花が咲き誇っていた。聞けば全部で200万本あるという。関東最大の規模だそうである。薄墨色の山桜に黄色い菜の花の群落、そして目にしみる新緑。
ドライブだったのであまり歩かなかったがとっても気持ちのいい一日だった。

帰路、近くにある三島ダムに立ち寄る。ダム堤に咲く桜の花と湖面に浮かぶ花びらの渦巻き模様に、「千葉の桜もまんざら悪くはないわね」とのカミサンのお誉めの言葉をいただいて帰宅の途についた。

030413kanouzan.jpg
      ↑ 菜の花200万本のマザー牧場

| | Comments (0) | TrackBack (0)