2011.05.03

なつかしの「山と仲間」

Imgp2257rs「大型連休」といっても遠出は混むのでキホンは家の中です。
職場の若い人たちは仕事に出ているので、おおぴっらにレジャーの話もできないし・・

で、家の中を整理してたら、昔の山の雑誌が大量に出土しました。
その中の一冊が写真の「山と仲間」です。

労山(日本勤労者山岳連盟)発行の月刊誌です。
当時(70’~80年代)はヤマケイやガクジンと覇を競うように書店でも買えました。

何かの縁で、当時の編集部の人たちと仲良くなって、よく一緒に山登りも行きました。
だから、この雑誌には結構頻繁にモデルとして登場していたものです。
すると、「掲載誌」と称して無料で送られてくる。
山で一緒に遊んで、オマケに雑誌がタダで送られてくるのですから、なかなか良い感じでした。(笑)

おっと、お話が脇道にそれてしまいましたね。
表紙が印象的なので、写真で紹介しました。(写真をクリックすると画像が拡大します。)
この駅はたぶんJRの新宿駅なのでしょう。
あ、当時はJRじゃなくて国鉄でしたね。

待っている電車はむろん「2355」(ニーサンゴーゴー)でしょう。たぶん。
23時55分、新宿発の松本行き普通電車のことです。
私が山を始めた60年代後半から70年代にかけて、中央本線沿線の山に出かける際は、きまってこの電車でした。
北アルプス方面へは少し奮発して急行アルプスを使いましたが、八ヶ岳まではほとんどの登山者が「2355」でした。

だから週末の車内は大混雑です。
どっか別のホームに並ばせられて、そこから順番に発車ホームまで案内されました。
みんなまじめに列を乱さないで車掌さんの後からついていったけ。

それにしても、この表紙に写っている人たちの表情も良いですねえ。
暗い表情の人って一人もいないもん。
時刻表を説明している車掌さんの足下には石油ストーブなんか置いてあったりして・・・。
霜降りのニッカーをはいたお兄さん。
ピッケル持ってどこの山に行くんだろう。
5月号の表紙だから、八ヶ岳や北アルプスなんだろうな。

ああ、おれも自転車なんかで遊んでいる場合じゃないぞ。
やっぱ連休は春山でしょう!
標高3,000メートルの雪稜にトレースを刻んで一歩一歩歩んでいく。
やっぱり山はいいなあ。
行きたいよ~~~!

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2008.08.13

金副隊長の山岳救助隊日誌

Kon_2若い頃から何度も訪れている奥多摩。
その奥多摩を舞台に警視庁青梅警察署の山岳救助隊・副隊長を務める著者が、数年にわたって他誌に連載をした山の遭難救助日記を元に書かれたエッセイです。

つい先日も沢登りで訪れた川苔山周辺での遭難事故が多いことを本書で知り驚きました。
急なトラバース道での滑落や、そもそも懐中電灯や雨具を持参しないで道迷いになり山中で立ち往生するといった初心者型の遭難事故が後を絶たないとか。

事故者の7割以上が50歳以上の中高年が占め、「道迷い」→「滑・転落」→「死亡」といったケースが少なくないこともこの本を読んで改めて感じました。
毎年奥多摩だけでも数十件の遭難事故が起こり、5~6名が命を落とすということですが、その事故と救助の模様が詳しく書かれています。

最近の救助現場ではヘリコプターの出動が効果を上げていることもよくわかります。
岩場での引き上げ・引き下ろし作業の困難さは私自身もアマチュア救助隊員の端くれとして身をもって経験していますが、本書でもそのへんの苦労話はたくさん盛り込まれています。
ヘリコプターによる救助活動の普及により作業がかなり迅速かつ省力化されてきています。

奥多摩は観光地と山岳地が重複している特異なエリアです。
それだけに、「ちょっとそこまで」という軽い気持ちで装備も持たずに入山して下山できなくなる例が多いそうです。
私自身、年々衰えを感じる中年若葉マーク付きの登山者ですが、本書を読んで改めて初心に返った思いです。
本書にはあの山野井泰史夫妻をはじめとして著者の幅広い交友関係がうかがえる心温まるエピソードもたくさん盛り込まれています。
東京の奥多摩が舞台ですが、山好きな方にはぜひ一読をお勧めします。

金副隊長の山岳救助隊日誌―山は本当に危険がいっぱい (角川学芸ブックス)

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2007.10.27

定本 北八ッ彷徨

">定本 北八ッ彷徨
今日は朝から一日雨。
雨の日は何もしないでじっくりと山の本を読むのがいい。
雨音を聞きながら読む本には山口耀久氏の「北八ッ彷徨」などは最高です。

今夏、ひょんなことから娘と一泊二日の北八ツの山旅をたのしみました。
久しぶりにあるいた北八ツの苔のやわらかな感触が忘れられずに「北八ッ彷徨」を再読しました。

題名にもなっている「北八ッ彷徨」自体は22ページの短編です。
短い文章ながら、何ものにも縛られない著者のみずみずしい感性が文章全体に溢れています。
ほんのちいさな事象にも目をとめて、ゆたかな観察眼で文章にしるす力には脱帽します。

それにしても著者が北八ツをこよなく愛し彷徨した時期は1950年代。
その頃の北八ヶ岳にはほとんど人が入らない状況だったことは本書から容易に想像できます。

11の短編で構成されている本書に共通するキーワードは?
焚き火、無数の星空、鉈目、探検、・・・でしょうか
どれも今の北八ツではなかなか体験できないものばかりです。
焚き火は禁止となり、無数の星空はナイタースキー場で消え、鉈目は赤テープに変わり、探検する余地はなくなりましたから。
パイオニアとしての特権なのかも知れませんが、なんとも羨ましい体験の数々です。

ところで、森林高地としての北八ツ主稜部だけでなく、佐久側に果てしなく広がる山麓にも著者の目はやさしく注がれています。
本書に「美しい山村集落」としてえがかれている五箇(ごか)集落が現在どのように変貌しているのかも興味深いものです。
北八ツ黎明期、森の高地の物語を貴方もぜひ心の中で想いえがいてみてください。

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2007.09.22

クライマーズ・ボディ

クライマーズ・ボディ登山、とりわけクライミングをやっていれば誰しも故障のひとつやふたつと付き合う羽目になります。
かくいう小屋番Nobも肩痛を痛めてからもう4年ほどになりますか。
正確に何年前から痛み出したのかよくわからなくなってしまいました。
最近はもともと持っていた腰痛も再発してしまい、秋の彼岸の3連休だというのに今日は病院、明後日は整体治療と別の意味で忙しい日々を送っています。

いまお世話になっている山の会はクライミング中心の会です。
それなのにクライミングができないということは在籍する意味がないので、最近は引き際(退会)を何時にするかと考える毎日。
育ち盛りの男の子が体育の時間を見学で過ごすようなもので、精神衛生上非常によろしくない。(笑)

今回紹介する本は発売されてすぐに購入したのですが、内容が少々難しいためすぐにほったらかしていたものです。
ところが、最近は肩痛が日常生活にも不便をきたすほど深刻になってきたので、もういちど本棚から取り出して本気で読み返してみました。

「溺れる者は藁をも掴む」で、真剣に読むとこれがなかなか面白いのです。
著者は二人。有名クライマーと「登る整形外科医」の異名をとるクライマー整形外科医の共著です。
この本を読むと著者も含めておびただしい人達が故障と向き合い、それを乗り越える努力を続けてきたことがわかります。
故障にならないための日頃のボディケアと不幸にして故障になってしまってからの対処法が論理的に書かれています。
クライミングに故障はつきものと考えれば気も楽になるし、失いかけた希望も少しは取り戻すことができるというものです。

腰痛、肩痛にはかなり耳年増になっている小屋番子ですが、再読してみて再びきちんとした治療を受ける気になり、MRI(磁気共鳴画像装置)を再受診してみました。
機械の進歩もあるのでしょうが、今回の診断画像にはインナーマッスル(肩腱板)の一つである棘上筋の損傷がはっきりと映っていました。

故障部位はある程度わかったので、あとは地道にリハビリを続けることになります。
医者から完治は難しいと言われましたが、とりあえず日常生活への支障をなくすことと、せめてグレード5.9程度のクライミングに復帰できるようになりたいですね。
それまではクライミングは封印です。
そんな気にさせてくれた本書を故障モチとして推薦します。

クライマーズ・ボディ

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2007.09.04

遠き雪嶺

遠き雪嶺日本人によるヒマラヤ遠征というと真っ先に思い浮かぶのが1956年(昭和31年)のマナスル初登頂が挙げられます。
世界に14座しかないヒマラヤ8000m峰の一角に日本人が初登頂したということで、これがヒマラヤにおける日本人初登頂と勘違いしている人は多いと思います。

しかし、それよりも20年も前の1936年(昭和11年)10月5日に日本人によるヒマラヤ未踏峰の初登頂が成し遂げられたことを知る人は少ないのではないでしょうか。

山の名前は、ナンダ・コート(ナンダ・コット)。
インド・ガルワールヒマラヤにある6,861mの未踏峰でした。
当時、ネパール、チベット、ブータンは鎖国状態であり、他のヒマラヤ山域も現在とはまったく異なりきわめて入山が難しい状態でした。
そこで、選ばれた山域が当時イギリスの植民地で入山が比較的容易だったインドヒマラヤでした。

本書は、未踏峰ナンダ・コートに挑み、見事に初登頂の栄誉をつかんだ立教大学隊の物語をドキュメンタリータッチで描いた大作です。
史実にそって書かれていますが、そこは小説の世界です。
フィクションも織り交ぜながら飽きさせないで一気に読み終えることができました。

多少とも登山を知るものにとって一番の驚きは、今から70年以上も前、登山技術も登山装備も現在とは比較にならないくらい劣悪な条件下で、しかもヨーロッパアルプス経験もなくいきなり日本の冬山から氷河のヒマラヤに挑んで成功させたという事実です。

読み進んでいけばわかりますが、雪山必携のオーバーシューズも全員分用意できなかったことや6人パーティーで30mの麻ザイルが1本だけで行動するなど、現在では考えられない装備・方法で果敢に挑んでいるのですね。
もちろんアイスバイルなどもありませんからダブルアックス技術などは存在せず、前爪の無いアイゼンをつけてピッケルで一歩一歩足場をカッティングしながら登っていきます。

さまざまな事態に遭遇しながらも、つねに沈着冷静だった堀田隊長の下で全員が力をあわせて目標に向かってぶれずに行動する様は感動的です。

そして、時代背景にも注目です。
1936年2月26日には有名な2.26事件が勃発し、時代は大きく戦争へと舵を切ることになります。
暗い世相にあって、「山登りとは何ごとだ!」といった批判を一部では受けながらも青春を山にかけた青年たちの揺れ動く心情にもスポットライトが当てられています。
初登頂の翌年、1937年には満州事変が起き、その後日本は太平洋戦争に突き進んでいきますが、戦前のワンチャンスを見事にとらえた反面、ヒマラヤ初挑戦初登頂というせっかくの大成果が次に続く若者たちに伝承されなかった悔しさも同時に描かれています。

遠き雪嶺(上) (角川文庫)ナンダ・コートの経験が受け継がれて大輪の花を咲かせることができたのは20年後のマナスル初登頂でした。
戦争と戦後の混乱期が20年の空白を作ってしまったのですね。
登山の進歩に平和が欠かせないということを強く感じた小説でもありました。

著者の谷甲州氏はご自身が7000峰登頂の経験をもつだけあって、他の著作もふくめて登山の描写は他のだれよりも細密で優れていると思います。
ぜひご一読を。

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2007.05.24

激しすぎる夢

激しすぎる夢―「鉄の男」と呼ばれた登山家・小西政継の生涯
小西政継さんとはかつて一度だけお話ししたことがあります。
山の仲間達と「山岳映画と講演の夕べ」なる企画をたて、講演者として来ていただいた時のことです。
どんな怖い人だろうか、とビクビクものでしたが、素顔の小西さんは笑顔の素敵な好漢だったのを思い出します。

彼の生涯と最後の山となったマナスルで何が起きたのかを克明に描いた作品が「激しすぎる夢」です。
長尾三郎氏のノンフィクション作品です。
マナスルに消えた1996年から5年後の2001年に書かれた本書を初めて読みました。

「激しすぎる夢」という題名のとおり、彼の前半生のうち青年期は、マッターホルン北壁・エベレスト南西壁・グランドジョラス北壁に果敢に挑戦し、日本の登山界に小西ありとの名声を確立しました。

それに続く壮年期は、山学同志会のリーダーとしてジャヌー北壁・カンチェンジュンガ北壁・チョゴリ(K2)北稜などに数多くのクライマーを挑戦、そして登頂させることにより世界的なスケールの登山を次々と実践してきました。

一転して40歳代には自ら起業家として登山界に関わっていきます。
家族愛を大切にしながらも猛烈な勢いで仕事に向かい、ある程度の成功をおさめた時点で、再び登山に向かう決意を固めます。

彼が初めて8000m峰に登頂したのは意外にも1994年、55歳になってからです。
しかも酸素を吸って、シェルパを雇ってのフツーの登山。
若い頃の彼の激しい登山観を知る人から見ると意外な感に打たれますが、そこが彼の柔軟でしなやかなところなのです。

「今、俺には無酸素でエベレストに挑戦した昔の力はないんだからさ。でも、酸素吸ったらまだまだ登る力はあると思っている。自分の好きなやり方で登ればいいんだよ。」

ベースキャンプから毎日のように発信する家族へ宛てた手紙。自宅のすぐそばを仕事場に選んで家庭での時間を大切にする毎日。
家族との太い絆で結ばれた交流風景が、人間小西の懐の深さと優しさを証明しています。

最終章では、マナスルに消えた最後の行動にスポットを当てています。
結局、彼の他人に対する優しさが自らの遭難につながっていった過程が克明に描かれており、なんともやりきれない幕切れとなっていきますが、最後まで他人には優しく自分には厳しい面を貫いた男の中の男だったんだなと思いました。

ここまで書いてきてふと思ったのですが、山学同志会時代の妥協を許さないきびしい姿勢。事故はすべて自己責任として会としての山行自粛もしなかった姿勢というのも、もとをただせば「個」の力を強くしたい、「個」を強くすることで生き抜く力をつけていってほしい、という「優しさ」の裏返しだったのかもしれません。
戦後最高の登山家という側面だけで評価するにはもったいない程の魅力あふれる人物です。

6年前の作品ですが、ぜひ一読をお勧めします。

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2006.12.07

実戦!オールラウンドクライミング

実戦!オールラウンドクライミング―バリエーションの世界へ今年の4月下旬。
著者の廣川健太郎さんと山でお話しをする機会がありました。

そこでの話として「近いうちにバリエーションの入門書的な本を出す予定なんですよ。今までの本よりももっと裾野の広いものを考えています。」といった内容でした。
それが今回刊行された「実践!オールラウンドクライミング」だったのですね。

私自身の経験からいっても、クライミングやバリエーションルートに興味があっても、身近に良い指導者がいない場合はなかなか一歩前に足を踏み出せないものです。
一読してみて、本書はそうした悩み多きバリエーション指向登山者に最適の一冊であると自信をもって言えます。

著者あとがきでも書かれているように、ビギナーからステップアップ中の立場とリーダーの立場、両方の視点を織り交ぜ、入門から中級レベルに到達するまでのひと通りが学べるように工夫されています。

全部で6章から構成されていますが、それぞれの章でステップアップのためのテーマが決められており代表的なバリエーションルートのガイドを織り交ぜながら、それぞれのテーマに沿った技術や手法を豊富なイラストと写真により解説しています。

ビギナーにとっても素晴らしい教本に仕上がっていますが、中級レベル以上の人が読んでも、これまで身につけてきた技術の再確認や自分の知らない新しい技術に触れるチャンスを提供してくれています。

かく言う万年若葉マーク付きの小屋番子にとっても、今さら人に聞けない基本技術を本書でこっそり確認できるので重宝しています。(^^;

随所に散りばめられているコラムも著者自身の経験に基づくもので、失敗例もふくめて率直に書かれたものであり、共感をもって読ませてもらいました。

内容の濃さといい、目標にできる31本の好ルートガイドといい、良いことずくめの本書ですが敢えて不満を言わせてもらえば「活字がやや小さい」ことでしょうか。
中年クライミング愛好者もたくさん読むことを考えると、この大きさはちょっとなあ・・。

実戦!オールラウンドクライミング―バリエーションの世界へ

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2006.11.17

静かなる尾根歩き

静かなる尾根歩き先日、久しぶりに室内壁でクライミングの練習をしました。
右肩を痛めて以来、室内壁でのクライミングは負荷がもろに掛かるのでできるだけやらないようにしていました。
しかし、会の中での「つきあい」もあるのでなかなかそうもいきません。
今回もたった1時間のクライミングでしたが、その後3,4日間続く肩痛というお返しが待っていました。

肩に強い負荷のかかるクライミングは、そろそろ年貢の納め時なのかも知れません。
そんな時に出会ったのが本書です。
新ハイキングクラブのホームページで知り、さっそくネットで購入しました。

著者の「まえがき」にはこうあります。
「・・山では力むことも、激することも不要であり、平常心をもって静かに歩きゆく。このことを守れば、体を痛めることもなく、山遊びを末長く続けていけそうです。年齢に逆らうことも不要であり、疲れを知らず、どこまでも歩いて行けそうな気持ちになります。それは人生にも通じているように思えます。・・」
この部分を読んだだけで、この本の価値の高さを感じました。

著者は新ハイキングクラブの会員として、およそ25年にわたって踏み跡程度しかない静かな尾根歩きを楽しんでこられた方です。
年齢が私とほぼ同じということも、この本に親近感をもった理由のひとつです。

本書をめくると、私好みの藪山、藪尾根のコース紹介がぎっしりと詰まっています。
奥多摩から八ヶ岳まで100コースとありますが、派生コースを併せると140コースになるそうです。
随所に挿入されている略図も雑誌「新ハイキング」そのもので、分かり易いものです。
紹介されているコースの中には小屋番子自身もトレースしたコースもいくつか含まれていますが、その多くは初めて目にするものでした。

藪の薄くなるこれから来春までの数ヶ月間、本書を手元におきながらあれこれとハイキングのコース選定の楽しみが生まれそうです。

静かなる尾根歩き―奥多摩から八ケ岳まで100コース

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2006.08.01

日本の登山家が愛したルート50

日本の登山家が愛したルート50以前、「岳人」誌で連載していたリレー連載「マイフェイバリットルート」を単行本化したものです。
岳人は定期購読していないので今回まとめて読むことができました。
世界各地の山々や岩壁を登ってきた日本の代表的な登山家が50人、ずらりと勢揃いしています。
不肖小屋番も山を歩きはじめて40年近くになりますが、もちろんここに紹介されている50人を全員知っているわけではありません。

この本ではじめて知った人もたくさんいます。
そんな中の一人が木下徳彦さん。
彼のマイフェイバリットルートである「北アルプス・称名川下ノ廊下溯行」のページは読んでいてゾクゾクしました。
立山室堂平から至近にある「称名滝」。この滝が日本最大の高差を誇ることは知っていましたが、その奥に連なる「下ノ廊下」が人類未溯行だということは初めて知りました。

それからもう一編。
茨城の本図一統さんによる「剱沢大滝」もワクワクする内容でした。
「もし今回戻らないようなことがあったら後は頼む」と妻に告げてきたとか。うーん。この自分勝手さがすごい!

さて、紹介されている分野はボルダリングから冬季アルパインクライミングまで5つのジャンルからと多彩です。
たった4,5mの石ころに宇宙を見ているクライマーから限界ギリギリの冬季継続登攀まで、人それぞれのマイフェイバリットルートが個性的に語られています。

ところで、本書のトリをつとめているのはもちろん山野井泰史氏。
彼のマイフェイバリットルートは???
この章も必見です。ですから最後まで読んでくださいね。

日本の登山家が愛したルート50

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2006.05.12

北アルプス この百年

416660347709_ou09_pe0_scmzzzzzzz_会社の先輩から「これ、面白いから読んでみたら」とありがたく頂いたのが本書との出会いです。

北アルプスの何が「百年」なのかというと、2005年は北アルプス最初の営業小屋である白馬山荘が創業してからちょうど百年なのだとか。
ちなみに、日本山岳会も2005年で創立百年を迎えたことは、記念切手も発売されたし記憶に新しいところですね。

さて、本書は北アルプスにある山小屋のルーツを辿りながら、主に地元サイドの視点で登山史の一端を眺めたものとして興味深いものです。
近代アルピニズムの風が吹き抜けるずっと以前、江戸時代よりもずっと前から、北アルプスの山々をとりまく集落の人々の深い営みの歴史があったことがよく描かれています。

高山の奥にまで入り込んで、生きるために「密漁」「無断伐採」を繰り返してきた村人たち。
彼らは、地図を作った陸地測量部員たちや都会からきた登山者たちに対しては「山には登るが岳(たけ)へは登れねえ」と語り、真実を明かさなかったという。

ゆえに、近代登山の草創期に活躍した岳人たちは、自分たちの記録をあたかも初登頂の記録として残した。そんな「外から作られた登山史」が登山の「正史」となったようです。
なんとも皮肉なエピソードですが、案外そんなところだったのかも知れません。
何しろ剱岳の山頂に奈良時代末か平安朝初期の錫杖が見つかったくらいですから。

ちなみに著者は1964年長野県岳連によるギャチュンカン登山隊員で、信濃毎日新聞社に長く勤めているジャーナリストにして根っからの山男です。

北アルプス この百年

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