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2005.11.07

凍沢木耕太郎の「凍」(新潮社)を読みました。
山野井泰史、妙子夫妻がヒマラヤの高峰ギャチュンカン(7,952m)に挑んだ登攀の様子を描いたノンフィクション作品です。
初出誌では「百の谷、雪の峰」という題で掲載されたのを改題したものです。
ギャチュンカンはチベット語で「100本の川の源流となる、雪の山」つまり「百の谷、雪の峰」という意味だそうです。それだけ、奥深いアプローチの遠い難峰なのでしょう。

ギャチュンカンという山を初めて知ったのは、じつは山野井夫妻の登攀ではなく、もっとずっと以前のことだったような気がします。
たしかギャチュンカンの初登頂は日本隊(長野県岳連?)であり、その苦闘の初登頂までを描いた記録映画を観た時だったと記憶しています。
それ以来、ギャチュンカンは私の記憶からまったく離れていたのですが、3年前、山野井夫妻の北壁からの決死の生還劇で再びこの山のことが甦ってきました。

最初の1ページを読み始めてからは一気にこの本の虜になりました。沢木氏のノンフィクションは初めて読みましたが、今回の登山の壮絶さを的確に伝えていて、読む人々を高所厳冬の北壁の世界に没入させてしまう文章力に脱帽しました。
まったく登山知識のない人が読んでもよくわかるように書かれた登山用語や確保システムの解説、夫妻が登山に至る経緯、そして核心部分の登攀の描写のどれもが正確できめ細かく描かれています。
(その反面、登山知識のある人には少々じれったい部分もありますが。)

客観的な描写に徹する筆致ゆえに、北壁登攀の凄絶さが見事に伝わってきます。
彼らは7000mを超える高所で6日間にわたって苦闘し、奇跡的に生還しました。重度の凍傷を負い、夫は手足合わせて10本、妻は両手指10本をすべて失ってしまうほどの、まさに死と紙一重の生還だったと言えます。

さて、この本で初めて知ったのですが、山野井夫妻は数々のヒマラヤ登攀で一度もゴミを残してこなかったそうです。
しかし、今回の凄まじいまでの生還劇で初めてテントその他の装備を置いてきてしまったとか。
凍傷の治療から退院した年に、その忘れ物を取りにギャチュンカンのベースキャンプに戻った彼らの姿勢に心からの敬意の念を覚えました。

ちなみに、表題の「凍」とは、圧倒的な「凍」の世界で、全力を尽くして「闘」することを続けた彼らには、これ以上の言葉はないからだと後記に述べています。

身体障害者の障害度(肢体不自由)2級の妻と6級の夫。
夫はこの夏、中国ポタラ峰北壁の初登頂に見事成功しました。


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